みけもふ日記 <備えあれば迷いなし>

経済的独立を目指し試行錯誤するブログ

10 years later

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3/11(木)晴れ

 

東日本大震災から10年を迎えました。

 

先月はその余震があり、否が応でもあの3.11を意識せざるを得ませんでした。明日がやってくるのは当たり前ではなかったことも思い出させてくれました。まだあの大地震の影響は続いているようです。

 

震災当時、私は新宿のオフィスに勤務していました。現在務めている会社に中途入社して5年目の時でした。当時は投資の「と」の字も意識にない純朴な好青年でしたw

 

地震発生の時は未だに鮮明に覚えています。初めは大きくゆっくりと揺れ始め「いつもより揺れが長いな」と思って天井を見上げた瞬間、体を持っていかれるような強烈な揺れに見舞われました。

 

これはヤバい!と咄嗟にデスクの下に潜り込みました。周りを見る余裕はありませんでした。その潜り込んでいた時間が何と長く感じられたことか。

 

その前の2月にニュージーランドクライストチャーチでも大きな地震があり、倒壊した建物に巻き込まれて多数の被害者が出ていた事がアタマをよぎり、自分もそうなるのではないかと、ただ怯えながらうずくまっていたのを覚えています。幸いビルは崩壊する事なく無事でしたが、この経験が元になり、振動に関してはとても敏感になりました。トラウマと言ってもいいレベルです。

 

その日は首都圏の交通網がマヒし、電車はストップ。職場から自宅までの距離は約17Km。歩いて帰宅すると3時間半かかる計算なので早々に帰宅は諦め、会社に泊まり一夜を明かしました。

 

同僚の半分は徒歩で帰宅、残り半分は泊まり組、といった割合だったと思います。一部の同僚は近所の飲み屋で飲み明かしたり、コンビニでアルコール類を調達して会社の休憩室で酒盛りをしていましたね。

 

その当時から私は酒は飲まないようにしていたので、デスク付近の椅子をかき集めてその上に横になってさっさと寝ました。時折もたらされるニュースを聞きかじっていると、原発が相当マズい事になっている事が分かり、同僚と「このままだとメルトダウンするね」なんて話していたのを覚えています。結果は案の定でした。

 

翌朝、8時頃には最寄りの地下鉄が動き始めたのでそれに乗って帰宅。家に帰宅すると棚の物が散らばっていたものの、そう大したことはなく片付けはラクなものでした。

 

想定外だったのは、ガスの元栓が自動で止まっていた事でした。いくら着火しようとしても反応しないので、色々調べているうちにようやく気付きました。自力で復旧させるまで冷たい水で顔を洗っていたのを覚えています。

 

あれから10年。過ぎてみればあっという間でした。

 

そして現在。

 

10年前に発令された原子力緊急事態宣言が未だに解除されていない中、新型コロナウイルスの感染拡大防止のための緊急事態宣言が発令されている状況です。

 

this.kiji.is

 

当ブログでは積極的に政治を話題にするつもりはありませんが、上記の記事を読んでもやもやしていたものが幾分カタチとして見えてきたような気がしました。相対的に今の政権よりは国民に寄り添っていたように感じます。去年のあのコロナ対応に関する政権のゴタゴタを見たらなおさら。

 

一連の国難から得た教訓は、自分のアタマで考え、判断する事の大切さだったように思います。これは投資についても当てはまるのではないかと思いました。コロコロ変わる政府の対応や、不安をあおるマスコミの報道なんてうんざりです。もうそんなものには関わりたくない。振り回されないためにも、情報の取捨選択は必要最低限にすべきだと感じました。

 

翻って、10年後の今の自分について。

 

現在の自分の境遇はあまり良くない状況にあります。震災後、曰く付きのキツい職場に異動となり、覚悟はしていたもののメンタル崩壊寸前まで追い詰められ、現在は人助けのために引き受けた昼夜交代勤務で四苦八苦しています。

 

個人的には無我夢中でやってきた10年だったと思います。我ながら投げ出さず、良くやってきたのではないでしょうか。異動直後に出社しなくなった同僚のカバーを約2年間一人でこなし(二人分の仕事を一人で...)、運用業務の見直しや改善はもちろんの事、新システムの導入、配置転換による別業務の習得など...。

 

先日分かった事ですが、この10年の頑張りなどお偉いさんは全く覚えてくれていませんでしたw 本人の口から直接聞きました。本当にアホらしくなります。こんなところで頑張り続ける事に何の意味があるのか、自問自答する日々を送っています。

 

それでも10年前に被災された方々のご苦労に比べたら、取るに足りないものかもしれません。まだ生きて命があるというだけでも幸せと言うべきなのかもしれません。生きている限りは「未来」がある。

 

長くなりましたが「未来」を生かすか殺すかは、やはり自分次第。何の評価もされない身ですが、働いている以上は誰かの約に立っているはず。正直、ろくでもない出来事に遭遇する日々に心が折れそうになりますが、 腐ることなく前を向いて生きて行こうと思います。