みけもふ日記 <備えあれば迷いなし>

経済的独立を目指し試行錯誤するブログ

人間万事塞翁が馬

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4/21(水)晴れ

 

人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)

 

最近、このことわざがアタマの中で響き渡っています。意味は以下のようなものです。

 

人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。 幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ

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特に幸せなことがあったわけではなく、どちらかと言えば今は紛うかたなき逆境にあると感じています。主に職場での待遇についてですね。慣れない夜勤や、反りの合わない上司との関係など。

 

夜勤を引き受けてかれこれ4年目に突入しました。事の発端は前任者が病気で倒れたため、急遽ピンチヒッターとして私に話しがまわってきて、人助けのためだと自分に言い聞かせ引き受けました。

 

幸い倒れた前任者は回復し、今は元気です。復帰してまた夜勤というわけにいかず(当然ですが)かつて私が担当していたポジションと入れ替わる形で復帰しました。その後は組織改編などを経て、新築の立派なビルの本部に所属する事に。

 

私が夜勤を引き受けずに同じポジションのままであれば、組織改編の流れに乗って本部所属になるはずでした。実現していれば通勤も電車一本で済むし、通勤時間も今の半分くらいで済みます。

 

当然、そんな組織改編が近い将来にあると分かっていれば夜勤なんて引き受けなかったと思います。今となってはいくら悔やんでも後の祭り。

 

その流れに乗れなかったのが災いしたのか、夜勤を引き受けてからというもの、直属の上司との折り合いが悪化しました。それまでとは打って変わって手のひら返しです。元々セクハラの前科持ちで人間的に好きになれない上司でした。

 

不規則な勤務という事もあり、人事考課に直結する課の飲み会に参加する機会も激減し(元々飲み会嫌いなので好都合でしたが)、やってもいないRPAの説明を本部に出向いて説明しろというから、さすがにそれは出来ないと断ったあたりから雲行きが怪しくなってきました。

 

それからというもの、上司からほぼ声をかけられなくなり、当てつけがましく他の課員とばかり話しをするように。昨年のテレワーク導入時は利用者メンバーから外されていたり、テレワークに必要な備品の購入も上司のお気に入りの課員だけに会社のカネを使ってあてがわれたり...。

 

早い話しが疎まれて干されたわけです。

おかげでしっかり人事考課は2年連続で最低レベルの「C」を付けられましたw

 

確かに逆境だなと思っていました。6年に及ぶ地獄のワンオペを乗り越えても大して昇給も昇格もしませんでしたし。皆がやりたがらない夜勤を引き受けた挙句にこの仕打ち。

アホらしくなったので転職活動も始めていました。まあ、そこで現実の壁にぶつかりました。なかなか思うような転職先が見つけられず、現在に至るわけです。

 

何をやっても裏目に出る状況で、まさに八方塞がりだったと思います。(今も大して変わりませんが)それでも何とかやってこれたのは、ある種の諦めにも似たような心境だったからかもしれません。じたばたしてもどうしようもない時があるという事を悟ったというか。

 

そこで冒頭のことわざがアタマにすっと入ってきました。確かに自分にはどうしようもない事であれこれ悩み過ぎているんじゃないかと思うようになりました。それからは目の前の仕事に集中するようにしました。徐々にあのクソ上司(失礼)が何をやろうとそれほど気にならなくなっていきました。そもそもセクハラとか別にコンプライアンスに抵触するような事をしているわけでもなし。

 

今がダメでも同じ状況が永遠に続くことはあり得ないし、反対に良い事ばかりが続く事もない。現に上司はこの4月に異動しました。さらに出世するというオマケ付きでw まあこの上司が上にいる限り評価は固定されたままでしょうから、大して待遇が変わることはないでしょう。その上司の息のかかった部下がそのまま昇格して今の私の上司になっているので、後ろで糸を引いて相変わらず干されたままだと思います。

 

 それでもここで腐ってしまったら負け。(勝ち負けの問題でもないですが)自分の人生を半ば放棄するような事はやりたくない。会社だけが人生でもないし。どれだけ干されようが、しぶとくぶら下がって生活費を稼ぐ。今はそんな心境になっています。

 

もちろん夜勤はしんどいですけど、その分付いた夜勤手当を投資に回せている側面もあります。 不規則ではあるけれども、平日休みの利点を生かして個別株の売買や株主総会にも出席出来る。何も悪い事ばかりではない。そう考えたら尚更、このことわざが輝きを増して響いてくるように思いました。

 

ま、またいずれ何かしらの変化があると思います。それまで腐らず、自分を見失う事無く、 いざという時にパッと動けるよう水面下で切磋琢磨しておきます。ホントにこの先何がどうなるかなんて分かりませんから。生きている限り未来はあるわけだし。月並みだけどそれは「希望」と言い換える事もできますね。

 

もう人生の折り地点を過ぎてしまったと思うし、ふて腐れててもしょうがない。

しょぼいかもしれないけど、死ぬまで生きて一花咲かせてみたいもんです。